素 (ㇲ)

“九死に一生”×4を得てからの生き方を綴る

キオク.5 「人生で最も長い夜」

その時時計は夜中の1時半。

娘のガラケーの充電が命綱である。電話は繋がらない。だから電源を切った。

私たち家族四人、いつここから出られるかわからない。

自分たちを覆う瓦礫の向こうがどうなっているのかもわからない。

外の空気は入ってくるから生き埋めにはなってない と夫。

明るくなるのは、5時くらいだろうか。あと4時間。待てる。がんばろう。

そんな風に思った。

 

私の右腕の下にすっぽり収まる息子の温もりに癒される。

時間はゆっくり過ぎていく。

 

娘の声がする

「いつもはもっと夜長いといいのにって思うのに」沢山眠りたいから。

ほんと 長いねー 笑う

そして余震

横たわる畳がぐらぐらと揺れ、瓦礫が音を立てる。腕にかかる木材が倒れないように必死に支えてた。指先が冷たい。不安定な状況に心も震え上がる。

怖い怖い怖い 心の中で叫ぶ。子供に恐怖が及んじゃいけないと、声を我慢しても悲鳴に代わる。

このままで朝まで耐えられるのか。

余震が来るたびに身体に力が入る。

心で叫ぶ 怖い怖い やめて おねがい

 

あの夜何度それを繰り返しただろうか。

とにかく祈った。無事にそこから出られることを。

近所の人たちの安全を。

 

「大丈夫 大丈夫」当時中学三年生になったばかりの娘は常に私たちを励ました。

「絶対出られるから」と言う娘。私は支えられた。

 

2011年の東北大震災を受け、関東からこっちへ引っ越してきた知り合いのことを想う。可哀そうに…またこんな地震にあうなんて。

ご近所さんたちのことを想う。

みんな無事だろうか。お隣のご夫婦はどうだろうか。

沢の向こうの遠くの道路を走る救急車の音が聞こえた。

あ、救急車出動してる。

でもまた戻っていった。なぜだろう。

その時は知らなかった。土砂崩れにより57号線は寸断されていたのだった。

外へ意識を向けると 土のにおい 生ごみの匂い を感じる。

余震でキッチンから食器棚の扉が揺れるような音がする。一つ器が落ちて割れた。

きっときっと 家は無事なんだ。

この部屋が崩れただけかも知れない。朝になったら玄関へ行く通路が見つかるだろう。

 

もし、家族がそれぞれの部屋で寝ていたらと想像する。

ぞっとした。離れ離れが一番嫌だ。

はっきりした声で言った。「これからもさ、4人一緒に寝ない?」全員が賛成してくれた。一緒にいれば怖くない。瓦礫の中でも安心がある。

 

外から流れてくる空気が少し寒くて手の先が冷えてきたのだけれど、

横で眠る息子の体温のおかげでだんだん指先の冷えがとれてきた。

というか、だんだん暑い。

息子が暑いと言って起きた。しっかり着せていた毛布を少し下げる。

夫の、フリースのファスナーを下げる音が聞こえた。

あ、夫も熱くなってるんだ。

私たちを囲む木材がかまくらのように中を温めているのだ。

 

「きっとこれがいい思い出になるよ」とみんなに声を掛けた。

 

なんだか 外で人の声がしたような気がする。

人がいる!「たすけてーーーー!」と叫んでみた。

家族がびっくりした。黙っていた方がいいよ 喉乾くから と夫が言う。

どうやら外の声は私にしか聞こえていなかったらしい。

空耳だったのかなと思った。

だけどその時、近所の友達が「たかはしさーん!」って呼んでくれてたんだって。

 

夜の間に3回くらい娘のガラケーをつけてみた。

時間を見る、周りを照らす。何度見ても同じ周りは瓦礫の壁だった。

だからもし、私たちの無事が外の人たちに分かってもどうすることもできなかったんじゃないかな。助けに来るのは危険だったと思う。だからあれでよかったんだと思う。

 

もうそろそろ朝じゃないのかい?と期待が膨らんだのは遠くで鶏の鳴き声がしたから。

もうすぐ もうすぐ が、長い。

いつまでも真っ暗だ。

遅くないかい?夜明け。

もし 明るくなるはずの時間になっても 真っ暗だったら…!?心臓が締め付けられる。怖い怖い怖い

隣の息子にも聞こえないくらいの小さな声で こわいこわいやばい と声に出した。

その時に娘が時間を確認したのが 4:30

まだだ まだ明るくなる時間じゃなかった。もう少しだ。

ゆっくり ゆっくり 時が流れ

恐ろしい不安を持ったまま 足元をじっと見る。足を向けているのは北側でそっちは

掃出し窓がある方。明るくなるならそっちだろう。

うすらぼんやりと何がが見える… 見える?さっきまで完全な暗闇だったのに。

何かが見える!明るくなってきてる!

やっと夜明けを迎えたのだった。

 

アウトプットねー

アウトプットてゆうキーワード

そうねー

それはメンドくさいけどやりたいかも知れん。

順番とかなんも考えず自分の話し言葉で書いたらいいのかも知れん。

 

ブログ全然変わってくるんやけど!

まいいか。

 

今日はね、

私を自分に楽しませてもらいました。

謎な表現ですが。

それが大事なのです。

 

たっぷり自分にお金を使ったよ。

その価値が私にはあるからね。

ありがとう私。

そして友達。

そして家族。

 

幸せ♡

 

 

こっちの世界

努力が報われる世界を生きてた。

頑張って乗り越え

壊れたらまた頑張って乗り越え

また壊れて頑張って乗り越え

繰り返し続けた

いつまで続くのか

生きることは苦行だと思っていた。

 

頑張って頑張ってもう無理ってことまで頑張って闇の時間を生き、限界が来た。

 

私は助けを求めた。

 

すると、努力しなくても報われる世界へ導かれたのだ。

 

生活の状況は変わらなくても、不安だらけの世界から安心な世界への扉は開くのだ。誰でも行ける。

宗教でも悟りを開いた訳でもないが、心の在り方。闇も愛だったと知ること。

ここにたどり着くまでのことを書きたい。

 

時間はかかるけど。

このブログを開設した時は闇の世界にいました。世界が変わるまで私は沢山藻搔いた。

書けるかな。

書けると思う。どっちにしろ、全部うまくいく。そんな世界に今私はいる。

 

 

 

キオク.4 「瓦礫の中」

息子に覆い被さると、すぐ目の前に娘の気配を感じた。きっとその向こうに寝ていた夫が娘を守っている。

私の周囲に風が起きる。天井や壁が降って落ちて攻撃的な風が起きる。

きっとその時間は一瞬だったに違いない。でも崩れが落ち着くまでは長かった。息を止めて動けずにいた。

突然物音がしなくなりシーンと静かになった。真っ暗だった。

さっきまでの月明かりも遮られ、何も見えない。本当の暗闇になっていた。

生きてる。私。息子も無事。たぶん。

みんな大丈夫?と声を掛けると娘と夫も同じセリフを言っていた。

声を聞いてほっとする。手を伸ばしてみると、夫の手に触れた。娘の手もあった。

しっかり握る。

よかった。とりあえずみんな生きてる!

動かないで!動くと崩れるかも知れんから。と注意する。

 

ケガはしてない?

自分の身体の末端まで意識を向けてみる。痛くないか、怪我してないか。

どうやら無傷だ。

夫と娘も無傷らしい。

息子は?返事をしない。

息子!息子!少し焦ってみんなで名前を呼んだ。

息子が返事をした。え、寝てたって?

どんだけ!笑

心配させんな。

 

だけど、辺りの状況はわからない。

私は起こしていた身体を布団に預けた。

枕に頭を置く。と、頭には枕じゃない固いものが触れた。それは木材だった。

固い感触にぞっとした。

そこに頭を置いていたら。。。間違いなく流血の事態。

恐ろしくて暫くその事実を言葉にできなかった。

周囲を手探りで確認してみると、私の左手の空間に壁ができている。

倒れた木材が綺麗に積み重なって壁を作っていた。

なんという。。危機一髪

足元には少し空間を感じた。

左足の左側に、タンスの引き出しが一つ置かれていた。

天井の方へ手を伸ばしてみる。

天井に、触れた。

いや瓦礫なのだけども目の前に天井があるのだ。

近い近すぎる。狭い。やばい。

私の右側には息子。息子の頭が私のわきの下くらいの位置にあってすっかり毛布をかぶっている。

娘は息子の向こうにいる。その向こうの夫が言う。

こっちも壁が出来ている。空間がない、と。

足元に木材が突き出してきていて、膝を曲げてなかったら刺さっていたかも知れない。

娘に少し内側へ移動してもらい、夫は寝返りを打てた。

瓦礫は私たち四人をすっぽり覆うだけの空間を作って周囲に壁を作ったのだ。

すごい奇跡だ。

だけど。。。出られるのか?不安が襲う。

ふと、土のにおいがした。

これ外じゃ?と私は言った。

とにかく周りが見えないのが怖い。携帯が地震速報を報せて鳴る。しかし手の届かない瓦礫の壁の向こうにあるようだ。

夫の携帯は鳴りもしない。きっと壊れたのだろう。

娘のガラケーが、見つかった。

周囲を照らしてみる。視覚で確認すると衝撃がすごい。

どこにも外への通路がないのだ。

頭の上も瓦礫の壁。しかもその瓦礫は私の右腕にもたれかかっていたので、右腕で支えていたのだった。

ガラケーの電波は通じなかった。電話が出来ないとなると、充電が切れるのが怖いので電源は切っておくことにした。

 

それ以上、何もできない。

私はつい「これもしかしたら死んだ方がマシだったかも知れんばい」と泣き言を言う。

すかさず娘から「そういうこと言わないでー!」と怒られる。

絶対大丈夫だからと励ましてくれる。娘の方がしっかりしてた。

そうね、そうね、ごめん。

でも何か言いたくなって。。

「みんな 愛してるよー」と言うと

「今言わないでー!出てから助かってから言ってー!」と怒られた。

ほんとに、もう生きることだけ考えよう。

 

「よし!寝よう!」と元気な声で言うと、みんなが笑った。

この状況で寝るんがと。

体力を温存しよう。夫も、寝れるなら寝た方がいいと言う。明るくなったら動き出せるように。

 

しかし人生の中でも最も長い夜を過ごすことになったのだった。

 

 

 

キオク.3 「『本震』の夜」

やっと描けました。元の我が家の見取り図。

二階建て庭付き一軒家 でした。

二階に子ども部屋と夫婦の寝室があったのだけれど、子どもが小さい頃からずっと寝る部屋は一階の和室。

4人並んで寝てました。

押入れのある方から夫、娘、息子、私。

本震の日もそうでした。

 

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その日は、子どもたちは歓迎遠足で疲れ、みんな寝たのは早かった。

私は12時半頃布団に入ったけれどもなかなか寝付けず、家庭訪問では何を話そうかと考えたり、中学校の役員の懇親会(飲み会)ではどんな会話を楽しもうか、明日息子にはまだ余震があるから遊びに行くのはやめるように言って聞かせなきゃ。など考えていた。

家族がいて 幸せだなー って感じながら眠りについた。

 

だから、やっと深い眠りについた頃だったと思う。

突然の揺れで起きたのは。

大きく激しく身体が揺さぶられる。ジェットコースターに乗ったのに似た体感。

娘が悲鳴を上げる。私も思わず悲鳴が出る。隣の息子に覆い被さる。

長い。まだ止まらない。キッチンからガシャンガッシャンと激しい割れる音。

和室のサッシの手前に閉めていた障子が外れた。

月で外がとても明るかった。

揺れが止まる。

 

ふぅと息をつき、布団に身体を寝かせた途端、突然の雷雨!

屋根に激しく叩きつける雨音!このタイミングで?!

外にも逃げられないじゃないか。

「まじかー」と私は呟いた。

突如また家が揺れる。

だけじゃなく、壁が崩れる!天井を見上げた。その天井が剥がれ落ちてくるのが、月明かりではっきり見える。

瞬時に覚った。

豪雨じゃない、土砂崩れの音だったのだと。

死ぬ。と思った。

息子!隣にいる息子だけでも守らないと。私はまた息子に覆い被さり覚悟した。

 

 

全然ブログを書き進められない。

体調も週末ごとに悪いし。

それに書きたい思いと辛い気持ちがないまぜになってしまって。


地震にあって、色々気づかされたことも良かったこともあるにはあるよ。

幸せに暮らせてるっちゃ暮らせてる。

でもやっぱり、家があったら‥せめて同じ土地に建て直すことが出来ていれば。。こんなに苦労しなかったよね。。

と、考えずにはいられない。

そんな日もある。



キオク. 2 「家を建てた頃」

私たち夫婦が家を建てた土地は、熊本の阿蘇の南の小さな村です。

それまでは隣町のアパートに住んでいました。結婚して3年目で子どもはまだいません。いつかはマイホームを持つのが夢で、よく住宅展示場を観に行きました。

 

そんなある日、住宅メーカーの営業さんが土地を見つけて来てくれたのです。

山手の静かな住宅地で16区画あり、村の分譲地ということで値段が他の土地より安めでした。

私の実家からは車で15分の距離です。

 

これまでより不便な暮らしになる不安はあったものの、静かな土地を希望していたことと、このチャンスを逃すとマイホームの夢が遠のくような気がして家を建てる決意をしたのです。

 

なんやかんやと困難もありましまが、無事に家が建ち、同じ時期に第一子を授かりました。

 

家のすぐ近くに丘と公園があり、丘の上には火山研究センターがありました。

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私達はその丘が大好きでした。

丘を上がるだけで登山したかのような光景が楽しめました。

あの場所で過ごした14年間はかけがえのない特別な時間です。