素 (ㇲ)

“九死に一生”×4を得てからの生き方を綴る

キオク.1 『前震』

その時私は1人でお風呂に入っていました。

2016年4月14日(木)午後9時25分

割と大きめの地震が来ました。

私は湯船に浸かっていました。浴槽ごと揺られ動きがとれず、ただお風呂の縁にしがみついて天井を眺めるしかありません。お湯がチャプチャプ波打っていました。

お風呂から上がり確認しましたが、特になんの被害もありません。

一人だと心細いから家族の揃っている時間帯で良かったね、と話しました。

TVで、益城町震度7だとわかりました。

 

地震が来たとき娘は寝室で寝ていて、和室に置いてある娘のタンスがすごく揺れて倒れそうで怖かったと話すのでタンスが倒れないよう、引き出し5段全部を取り出し部屋の端に並べて、タンスも寝かせました。

 

そしていつものように1階の和室で4人ならんで寝たのでした。

 

翌日ニュースで益城町熊本市内の被害が大きかったことを知りました。

市内に住んでいる友達に安否確認すると、室内が怖いので車中泊したとのこと。

みんなの無事を祈りました。

facebookでは県外の友人が私の安否確認をしてくれました。

当時私はゴルフ場のレストランでホールスタッフのパートをしていました。

職場の店長とホールスタッフの社員君からも心配のメールが来て、心配してくれる人がいることを幸せに感じました。

 

15日(金)は、小学校も中学校も歓迎遠足の日でした。

徒歩で行くところをバス移動に変更して決行されました。

私の職場は地震の影響で設備の点検があるため休みになったので、一日子供のことを心配して過ごしました。

子供たちは午後二時過ぎに帰宅。

夫も仕事へ出かけましたがその日は早めに帰ってきました。

家族が揃うと安心します。

日頃からその幸せは噛み締めていました。

 

家を建てたのは、ちょうど娘が生まれるころ。

娘と家は同じ年。2階建ての4LDK。若い夫婦がちょっと無理して建てた家でした。

広いリビングなのに二人掛けのソファで家族4人がぎゅうぎゅうに座って寛ぐのが家族共通の幸せなひと時だったのです。

娘は特に常日頃言っていました。

「家があってお風呂に入れてお布団があって幸せだね。布団に入ったときに“あー幸せだなー”って思うよね。」と。私も全く同じです。

毎晩寝るときに“幸せだなー”と感じていました。

 

15日の夜は、翌日が土曜日で家族は休み。。私は一人ゆっくりキッチンの後片付けをして、寝室に寝に入ったのは12時半。

 

息子が友達の家に遊びに行くって言ってたけど、余震がまだ怖いからやっぱりやめさせよう。。。と考えたり、仕事は出勤になってるけどお客さん来るかな?また休みになるかな?と考えながら眠りにつきました。

 

あの家で眠る最後の夜でした。

 

 

 

 

 

遅めの自己紹介&感謝を述べる

はい、3記事めで自己紹介をします。

私は1976年11月生まれ。現在41歳のフルタイム働く主婦です。身長は153センチ標準体型です。

高卒で社会人になり、19歳で夫に出会い21歳で結婚。25歳の時に娘を授かり、4年後に息子を授かりました。現在娘は16歳、息子は12歳。夫は現在49歳です。

結婚して20年が経ちました。

この20年それなりに幸せでもあり、様々な苦難もありました。

中でも一番の衝撃は〝熊本地震〟です。

その経験をやっと“書き残したい”と思えるようになりました。


とにかくまず伝えたい事は、自衛隊の方々、ボランティアの方々、行政に携わる方々への感謝です。

皆様のお力添えなしには私たちは生きられませんでした。

全国から寄せられる物資によって健康を維持することが出来ました。本当に本当に助かりました。ボランティアの方々からのメッセージに励まされ今を生きることができます。

震災から1年9ヶ月です。まだまだ厳しい現実を生きています。

でもそれをなかなか言葉にすることが出来ません。

ツライのは自分だけじゃないから。

もっと大変に生きている人も沢山いるから。ネガティヴな言葉に自分が飲み込まれてしまいそうだから。

だけど誰かに聞いてほしい気持ちが膨らんで時折苦しくなる。


…で、思った。辛いことを吐き出のではなく、自分の経験として、出来るだけ正確に記録しようかなと。


前置きが長いですが。




君の名は。

2018年1月3日

映画『君の名は。』地上波初放送の日でした。

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映画公開当時、中学3年生の娘と小学5年生の息子にせがまれ、映画館へ観に行きました。

私は映像がキレイな恋愛映画なんだろうなーくらいの予想だったので、本編中盤辺りから衝撃…というか恐怖心に襲われていました。

というのも、2016年4月17日に起きた熊本地震で被災して数ヶ月後だったのです。

やっと仮設住宅に落ち着いた頃でした。


『糸守町』に堕ちる彗星の被害と地震の被害・登場人物と自分の家族がオーバーラップし、得もいえぬ感情の揺さぶりに胸が痛くなりました。

子供が怖がるのではないかと不安に思いながらも最後まで観ましたが、映画自体が何方かと言えばハッピーエンドだった為か不安は杞憂に終わりました。。良かった

娘は特に気に入り、その後も友達と映画を観に行ってました。


そして待望の『君の名は。』地上波登場。

あの時の心の揺さぶられ感を思い出しました。

今でもあのシーンを観ると恐怖を感じます。そんな話しを家族でしていると、夫(48歳)が言いました。

「俺映画館も怖かった。暗いし逃げ場ないし」って。

夫がそこまで不安を抱えていた事に驚きました。

この年代の男性はなかなか自分の弱さを出せないのでしょうね。

 

私が今回書き残したかったのはこの、夫の言葉です。もっと夫の心情を慮れるヒトでいたいな。

初めての投稿で今年を振り返る

今年は、きつかった。

あまりにも心が闇で、SNSでも言えなかった。身内に心配かけなくないし、寄せられる励ましのコメントに返信するのもしんどくて。辛い気持ちを吐き出せなかった。

そういうの気遣わず書き連ねたい。

 

だから、家族や友人には内緒でひっそりとこのブログを始めます。

 

これからここに私の経験を書き込んでいく。

 

辛い時、私はよく心に浮かんだ言葉をgoogle検索してみます。

そこで見つかる誰かの言葉に救われることも多いので。

 

もしかしたら、私の体験談が誰かの役に立つかもしれない。

 

今年を振り返り感じたことは、

〝心がいじけて前向きになれず不安や不満に支配されていても、具体的な行動を取り続ければ状況は変化していく〟

ということ。

 

ブログ開設も具体的な行動のひとつになります。

 

とりあえず初回はここまで。

ではまた。